寄魂湖 

 ヤムドク湖

 少々わかりにくいのですが、ラ(bla 魂)がついた場所や生き物のことを、チベット人はラネー(bla gnas)と呼びます。もしもラネーが壊されますと、その人の存在は重大な危機に直面することになります。このラネーは代々伝わるので、トーテムに近い概念だといえるでしょう。ラネーは、木であったり(ラ・シン)、動物であったり(ラ・セムチェン)します。

 国王や貴族のラ・セムチェンは、虎やライオン、象、熊などで、庶民のラ・セムチェンは馬、ラバ、羊、牛、ヤクなどといわれます。『英雄ケサル王物語』のなかでケサル王は、ホル王のラネーである魚(別バージョンでは野生のヤクであるドン)を、またジャンのサタム王のラネーである熊を殺すことによって、戦いを有利に進めています。

 民族全体のラネーもあります。チベット人全体のラネーとして、ヤムドク湖がよく知られているのです。

 ナムツォ湖 

 ネベスキ=ヴォイコヴィツは『チベットの神託と悪魔』のなかで、ヤムドク湖につづいてチャン・ナム・ル・ツォ(Byang nam ru mtsho)という湖の名をあげていますが、これはナムツォ(Byang gnam mtsho)のことでしょう。このラサから北へ100キロほどのところにある湖は、天(ナム)の湖(ツォ)、モンゴル語でテングリ・ノールと呼ばれ、周囲に無数の岩絵が発見されていることからも、太古の昔より人々の崇拝の対象であったことがわかります。

 写真は、夕刻、風景が黄金色に輝きはじめたので、100mくらいあわてていいポジションまで全速力で走って撮ったものです。この一瞬、世界のすべてが神々しく思われました。できるなら聖なる山ニェンチェンタンラをいっしょに撮りたかったのですが、どうしてもフレームに入れることができませんでした。

 数年後、『英雄ケサル王物語』の「神授型」の語り手(吟遊詩人)であるツェリン・ワンドゥに話をうかがう機会がありました。彼の生涯のなかで、ナムツォはたいへん重要な役割をもちます。

彼はタンラ山脈の麓の草原に、遊牧民の子として生まれます。8歳のときにカザフ族の匪賊に襲われました。

 松原正毅氏の『カザフ遊牧民の移動』という興味深い本を読みますと、アルタイのカザフ族が1934年に移動を開始し、チベットを縦断したあと、カシミールやカラチなどを通って1953年にトルコに到着しているのですが、たしかに1944年にツェリン・ワンドゥがいた地方に滞在しているのです。

 カザフ族の移動については多少知ってはいましたが、私自身行ったことのあるアルタイから来ていることははじめて知りました。私はむかしアルタイでカザフ族の歴史学の教授と会い、カザフ族史について講釈をしてもらったのに、おなじ年に会った吟遊詩人の話のカザフ族と関連があることにしばらく気づきませんでした。自分の頭の血の巡りの悪さにため息が出てきてしまいます。

 松原氏の著書に出てくるカザフ族は難民で、行く先々でいじめられるどちらかといえば被害者ですが、ツェリン・ワンドゥによれば彼らは極悪人でした。家族や親せきの多くが殺されたというのです。母親も内臓が露出するほどの重傷を負い、最後の息で息子に巡礼をするよう説きます。孤児になったツェリン・ワンドゥはチベット中を巡礼するようになり(実際は乞食少年だったのでしょう)、13歳のときにナムツォ湖の周囲を巡礼してまわっていました。このとき湖上に武将の姿を見て(ケサル王の姿だったのでしょうか)意識を失います。二週間、少年は意識が混濁したままで夢を見続けます。3人の巡礼者の若い娘たちが彼の世話をしました。意味不明の言葉をつぶやくので、彼女らは大きな寺のリンポチェ(転生ラマ)のところへ連れていきます。リンポチェが浄化儀礼を懸命におこなったところ、少年の支離滅裂な言葉は物語として語られるようになりました、それがケサル王物語だったのです。

 私は何かを見たわけではありませんが、ツェリン・ワンドゥ少年がナムツォの湖上にケサル王のヴィジョンを見たのだとしたら、この湖が黄金色に輝いたときに違いないと思いました。実際はわかりませんが、それほどにも神々しかったのです。

 ネベスキ・ヴォイコヴィツは寄魂湖(ラ・ツォ)としてほかに、ブータンのためのカラ・ツォやシッキムのためのセ・ツォ、また全ダライラマのためのチューコル・ギャルツォなどをあげています。

 
7728mのグルラ・マンダタ(ネモナニ)峰とマナサロワル湖。右もマナサロワル湖 

 しかし聖なる湖は寄魂湖だけではありません。もっとも代表的な神聖な湖といえばマナサロワル湖(マパム・ユムツォ)があげられます。仏教徒やボン教徒以前に、インド人ヒンドゥー教徒にとって、マナサロワル湖は「ブラフマーの心から生まれた」とされ、数ある聖なる湖のなかでも一番手に数えられるのです。

 タンラユムツォ湖近くの岩に出現したマナサロワル湖の像 

 仏教徒にとってマナサロワル湖は八弁の蓮花であり(河口慧海の言葉を借りるなら「八葉蓮華の花の開いたごとく」)、4つの入り口をもつマンダラ(曼荼羅)でもあります。その東の入り口から、智慧の目をもつ者だけがフトモモの木(ジャンブーブリクシャ)、すなわちジャンブードゥヴィーパ(閻浮提)の生命樹(如意宝珠)を見ることができるのです。

 聖なるタンラ・ユムツォ湖(チャンタン高原) 

 チベット仏教徒の伝説によれば、護法神ペハルはもともとビハル・ギャルポと呼ばれ、マナサロワル湖に住む白いルモ(竜女)が生んだ30の卵のひとつから生まれたといいます。このとき、身体は人間で、頭だけキュン(ガルダ)でした。その後バタ・ホルに住み、そのあとサムイェー寺にやってきて護法神になりました。バタ・ホルとはウイグル人ですから、ペハルはウイグル人の神だったのが、チベット人の護法神になったことがわかります。

 名もなき湖だが、聖性を感じさせる 


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