チベットの理想郷を探して 宮本神酒男
補遺2 ニマラサはどこにある ――絵巻物の中の理想郷――
絵巻物というと、日本の中世の鳥獣戯画や源氏物語絵巻を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。世界にどれだけの絵巻物があるかわかりませんが、中国西南の一部(雲南省北部と四川省南部)に、現在はかなり減ってしまいましたが、かつてたくさんあったことはあまり知られていません。ごく稀ながら、あらたに描かれることがあり、儀礼のなかで実際に使われることもあります。
多少なりとも知られている例では、絵文字経典のトンバ経典で知られるナシ族の神路図があります。この絵巻物は亡魂を天界へと送るための補助装置のようなものです。『シャーマニズム』の著者、宗教学者のミルチャ・エリアーデは、著書のなかで神路図をシャーマニズム的なものとみなしています。魂が一度地獄に落とされ、そこからシャーマン的なトンバによって導かれて天界にたどりつくという構図は典型的なシャーマニズムなのです。
現在、一般の死者のために用いられることはないのですが、トンバが亡くなったときには葬送儀礼で使われます。私が撮影した神路図は白水台で有名な雲南省シャングリラ県サンバ村のトンバが昔描いたものです。(いま手元にデジタル処理した画像がないので、のちに画像を作ってアップします)この神路図は、現在、故・水木しげる氏所蔵となっています。
このナシ族の神路図は亡魂を送る絵巻物には違いありませんが、途中の場所や地名が記された送魂路というわけではありません。用いられる地域が限定される送魂路と比べ、神路図のほうがナシ族の地域であればどこでも使えるという意味で、汎用性が高いといえるでしょう。
私は四川省木里県のプミ族の村でナシ族の神路図と似たプミ族の絵巻物を見たことがあります。写真をご覧になればわかるように、やや短めの絵巻物です。例によって底には地獄があり、途中にガルダ鳥がいて、上部の天界のエリアには神々(俗称だが菩薩と呼ばれる)がずらりと並んでいます。最上部にはチベット文字の「ア」の字とまんじ(チベット語でユンドゥン)が記されていて、これによってこの絵巻がボン教に基づいていることがわかります。この地域(四川省南部と雲南省北部)にはボン教の寺院がいくつかありますが、ナシ族のトンバ教をはじめ、それぞれの民族宗教は昔から(唐代から?)かなり強くボン教の影響を受けてきているのです。
絵巻物研究においてとても重要な民族はナムイ族です。ナムイ族といってもその名で民族として識別されているわけではないので、チベット族ナムイ人と言ったほうがいいのかもしれません。言語的にはプミ族のプミ語にもっとも近いようです。清代の記録を見るとモソと呼ばれているので、モソと呼ばれていたナシ(ナヒ)族やモソ(自称ナズ)の親縁関係にあると考えられます。またナムイと聞くと、チベット人はチベット語のナミ(黒の人々)を思い浮かべますが、自称はナムズであり、モソ(ナズ)と関係が深いように思われます。
いま見せることができるのは、二つの絵巻物です。ひとつは、この地域のニンマ派の活仏に見せてもらったものです。これは写真、あるいは印刷物であり、現物を見ているわけではありません。現物はもしかすると行方不明になっているかもしれません。絵巻物の絵は質が高く、明代の頃に確立された絵画の様式を引き継いでいます。これもまた地名のはっきりしない神路図の一種のようにも思えますが、一部は場所の特定もできそうで、もしできたなら、この絵巻物は送魂路の絵巻物ということができます。
私は描かれている絵のなかでもとくに十字路が好みです。十字路といっても、十方向に道が伸びている分岐点です。十方向というと、この地域では、「8方向+上下の2方向」という意味であり、つまり三次元における全方向ということです。しかしこの分岐点は敷居点であり、特異点というべきもので、次元を変換する場所とも定義できそうです。
この絵巻物の上部は布がボロボロになっていて判別しがたいのですが、チベット文字の「ア」の字のほか、太陽や月が見えます。そのあとには中央にブッダらしき姿が描かれ、6つの吉祥のしるしに囲まれています。これだけ見ると仏教のようですが、なかを見ていくと、ボン教の絵巻であることがわかります。このブッダはボン教始祖トンバ・シェンラブ、すなわちナシ族トンバ教始祖トンバシャラです。
連続する絵の最初のコマには「臨終の人」が登場します。死んだばかりの人(遺体)はさまざまなものや犠牲の動物などとヒモ(あるいは糸)でつながれていますが、これは私が見たナシ族の葬送儀礼とおなじです。こうして死出の旅がはじまるのです。詳しくは「ナムイの亡魂の旅」を見てください。
これら送魂の絵巻物でもっとも重要なものはナムイのパピ(祭司)が伝える送魂絵巻(ツォプルグ)です。なぜ重要であるかといえば、私自身が四川省木里県のナムイの村を二度訪ねて実物を見ているからです。それは現在も村人が亡くなったとき、絵巻物が広げられ、死者のための送魂路を含む祈祷の言葉がうたわれているのです。具体的な地名が入っているという意味では稀有な送魂絵巻といえるでしょう。
絵巻の一番下には儀礼をおこなうパピの姿が描かれています。手に持っている鈴はボン教徒がもつシャンといわれている鈴とおなじです。魂はここから上方へ向かって送られていくのですが、絵の中央には白い帯が描かれています。この白帯は絵巻物そのものなのです。いくつも山を越え、川を渡りますが、それぞれ具体的な場所を示しています。
亡魂はひたすら北上し、いくつかの湖に到達します。このなかでもっとも上にある湖は、驚くべきことに青海湖を表しています。パピ自身がそう言っているので、間違いはありません。一部の送魂路がそうであるように、亡魂は河湟地区へと送られるのです。つまりナムイは現在の中国西北の青海省から甘粛省にかけての地域を起源地としているのです。
しかしパピによると、青海湖の上の大きな岩と鳥によって表される「ニマラサ」のほうが重要だそうです。ニマラサとは何でしょうか。地名だとすると、どこにあるのでしょうか。
ニマは太陽を表し、ラサは神の地を意味します。ラサはチベットのラサでしょうか。その可能性はあるでしょう。ニマラサが「太陽の神の都」だとすると、名前からしても神聖なる場所のように思えます。チベットのラサではなく、中国西北のどこかから神の領域に入ったところにある聖地か、あるいはもっとも神聖なる先祖が住むやすらぎの場所なのかもしれません。「魂はキュンルン・グイバトに回帰する」で述べたように、仏教が入ってくる前、チベット人は死後、祖先が集まる永遠のやすらぎの場所に戻っていくという信仰を持っていたのではないかと推測できます。そしてそれはチベット・ビルマ語族に共通した信仰だったのではないでしょうか。
ナムイの送魂路の話に戻りましょう。ほかのパピたちが挙げる路線によってはニマラサのあといくつかの地名がつづく場合があります。その最終地点はプイラジュゾというところであり、それはヒマラヤ山脈のどこかということです。もしかするとカイラース山を指しているのかもしれません。
太陽の神の聖地ニマラサか、カイラースか、あるいはそれ以外のどこかなのか。結論は出ませんが、もともとのチベット人、あるいはチベット・ビルマ語族が理想郷としたのはこういった場所のどこかであったわけです。
絵巻物はさらにその上があります。最上部を見ると、天界を表す雲のような図案があり、その下に太陽と月、それから北斗七星らしき7つの星が描かれています。北斗七星は道教の影響なのでしょうか。北斗七星が神格化されたものが北斗真君です。ナシ族のトンバ教もチベットのボン教のほか、チベット仏教、中国仏教、道教の影響を強く受けています。ナムイの信仰に中国道教の影響による北斗信仰があったとしても不思議ではありません。
その下にはやはり神々(菩薩)がずらりと並んでいます。ここから上が天界だとすると、やはりこれは仏教、ボン教の世界観だといえるでしょう。民族の原郷(起源地)を魂のやすらぐ永遠の場所として信仰する習慣はすでにすたれてしまったのかもしれません。
プミ族の送魂絵巻の最上部とすぐ下の神々(菩薩)のひとり
プミ族の絵巻の下部を占める地獄絵の一部
臨終の人。死んだばかりの人の魂の旅はここからはじまる(ナムイの送魂絵巻)
死者を守る盾と道先案内の守護神(ナムイの送魂絵巻)
絵巻の旅の出発点。パピが儀礼を行っている。右は典型的な3コマ
ナムイの絵巻の天界の神々。そしてその上の太陽、月、北斗七星
プミ族の絵巻物とナムイ族の絵巻物