カシミール・シヴァ派のヨーガ シャンカラナンダ 宮本神酒男訳  ⇒目次 ⇒サーダナ(なぜグルに)
1章 シヴァの恵み

V 私はシヴァである 

 カシミール・シヴァ派の世界観は極端なほど情熱的だ。ババはインドのほかのスワミと同様、自分の個人的なキャリアについては話したがらない。しかしただひとつだけ、喜ばしげに何度も繰り返し話してきたエピソードがある。それは自身の自己変容の体験だった。遍歴する修行僧として彼は、3つの聖なる川が出合う、また巨大な宗教的祭礼であるマハークンブメーラが定期的に開かれる都市アラハバードを訪ねた。ババは瞑想をするのによい場所に坐った。

 そこへひとりの祭司(プジャリ)が近づいてきて、ババのために儀礼をおこなおうと提案した。ババは興味がなかったが、お金をなんとか得ようと考える祭司はなかなかあきらめなかった。ババはそのとき思い立った。「そうだ、私が儀礼をおこなおう。いくらかダクシナを与えて、この男を追い払おう」

 しかし祭司は落ち着き払ってババに言った。「わしが唱えるからそれを復唱してくれ。パポ・ハム、パポ、ハム。私は罪びとです」

 ババは怒りを抑えることができず、祭司に向って叫んだ。「私は罪びとではない! 私は坐って自己について瞑想している純粋な存在だ! 罪などない、あるのは純粋な意識だけだ。あんたこそ善良な人々にそう言わせる罪びとではないか。さあ、私の平静をかき乱さないでくれ」

 じつにシヴァ派は罪の概念を認識しないのであった。われわれを神と隔てるのは無知なのだ。人間を堕ちた生き物とはとらえず、シヴァ派はわたしたちそれぞれの深奥に神聖なるものが宿っていると考えるのだ。

 私がスピリチュアルなものに向うことになった第一の要因は、60年代から私の内部で大きく膨れ上がったエゴの悪夢のヴィジョンだった。私はどこにでもエゴを見た。私の行動のすべての動機は利己主義と自己の関心であるように思えた。おなじことはすべての他人にも言えるのではないかと悟った。それはいわば「覚醒」だった。ただし地獄へと通じる覚醒だった。

 ババはしばしば教えをアフォリズムのような言葉で表した。

「あなた自身の自己にひざまずきなさい。あなたの自己を崇拝しなさい。あなたの自己を瞑想しなさい。あなたの自己を愛しなさい。あなたの自己をほめたたえなさい。神はあなたのなかにとどまるでしょう」

 自分自身を愛するという考え方が気に入り、この教えを聞いたとき安堵を覚えた一方で、自分のエゴをさらしてまったく違った方向に向けることにとりつかれているのはあきらかだと思った。1971年11月5日、ババにこのことについて質問をぶつけてみた。

私は聞いた。

 あなたはしばしば、われわれは自分たち自身を愛さなければならない、そうしてはじめてサーダナにおいて成長し、他人を愛することができると強調されます。私は自分のエゴに関し、たくさんの不愉快な点を発見しました。どうしたら自己嫌悪から免れられるというのでしょうか。

 ババはこたえた。

 あなたは自分のエゴと向かい合ったとき、自己憎悪を覚えます。なぜあなたはエゴがなくなることを自分自身に想わせることができないのでしょうか。あなたはあなたの自己を愛するべきだと私が言ったとき、自己を愛せよと言ったのであり、エゴを愛せと言ったのではありません。それはエゴを超越しているのです。

あなたはエゴを自己と同一視することによってエゴを精神的に高いものにすることができます。こういったことを言うかわりに私は自己だと言っているのです。エゴとは自己の感覚にほかなりません。私は罪びとだとか、王様だと言うよりも、私は自己だと言ったほうがどれだけすばらしいでしょうか。

そしてまた、エゴも役に立つのです。私は自己だと繰り返し言ってください。われわれは「シヴォ・ハム、シヴォ・ハム(私はシヴァだ)」という賛を唱えることに慣れています。それはエゴに健全に接触する機会を与えてくれます。

探求者にとってもっともいい方法は、エゴと魂を同一視することです。もしそれがとらえがたいものだと感じたなら、あなたはエゴを見つけることができるでしょう。またそれが魂をかき乱すものだということがわかるでしょう。

しかしわれわれは惨めな状況に陥るでしょう。というのもわれわれはエゴをどのように使うかわかっていないからです。もし「私は自己だ」「私は真実だ」「私は完璧だ」と自分自身に向って繰り返し唱えたなら、エゴは大いに役立ってくれるでしょう。それは強力なマントラとなるはずです。

 経典によれば、グルは言葉、見ること、触れること、考えることによって求道者を覚醒させることができるという。ここでいう言葉とはマントラのことである。たくさんの物語があるものといえば禅仏教だが、ヨーガにも同様に物語がたくさんある。物語には変容の、また覚醒の効果があり、正しい時に正しい生徒にスピリチュアルな教えが伝授されるときには役に立っているのだ。

 ババがこれらのことを私に語ったとき、彼の智慧のシャクティが自分に入ってきたと感じた。それはまるでババの心が私の心に住み始めたかのようだった。私はババの目を通じて物事を見ていた。その時点において、私が考える「スピリチュアル」というものは、まだまだ未熟だった。私が頭に描いていたのは、ゆっくりと構築されるビルだった。つまり一生懸命に修行をしていき、将来のいつかの時点で覚醒する。覚醒が何を意味するか私にはわからなかったのだけれど。

 ババが言葉を発するとき、たとえば「エゴもまた役に立つ」と言うとき、彼は私の囚われた観念の壁を打ち砕く。エゴは庭の蛇のように、敵ではなく自己をかき乱すものなのだ。わが心はポンと開く。

 カシミール・シヴァ派では、さまざまなサーダナをおこなうのに4つのウパーヤ(方法)が用いられる。独立した求道者がおこなうもっとも基礎的な方法は、坐法や奉仕といったヨーガの実践である。そのときに彼は神との一体感を感じている。より高次の方法はおもに心に関するものである。

 求道者は悪癖を心から取り除き、一方で聖なる考えが心にしみこみ、「気づき」が起きるのを許す。そうして心をネガティブなものからポジティブなものへと変えるのだ。気づきの方法はより高次である。メンタルの部分はそれがポジティブであろうと、ネガティブであろうと打っちゃっておいて、求道者はダイレクトに意識そのものに飛び込む。彼は純粋な気づきの状態を保とうと努める。

 ババの答えが示されるたび、私の目の前でこういった方法が閃光を放った。途方もないスピードで疾駆しているかのように私は感じた。それは微妙だが、パワフルなイニシエーションだ。ババの答えは言う、「私は罪びとだ、とか国王だ、などと思うな」と。それはエゴ(心)を超越して進め、気高く「私はシヴァだ、私は自己だ」と叫びをあげながら自己へ飛び込め、ということなのだ。

 そしてババの答えは3つの方法を越えて神秘的なアヌパーヤの領域、すなわち4つめの方法へと進む。シヴァ派は、この方法を「道なき道」であり、「無効の道」であるとして、捕えがたいものとして描く。

 ここにあるのはタントラの究極の世界観である。ここでは何もなされず、何も得られない。すべてのものがすでに完全である。自己はすでに理解されている、そして理解されること以外は何もなされない。というのもそれはすべての考え、すべての呼吸、すべての瞬間、生のすべての経験の背後にあるからだ。すべてはシヴァである。シヴァだけである。

 これらの瞬間、瞬間において、わが真実の道は、神聖なるものとしての生を生きるアヌパーヤであることを理解した。しかし私はまたすばらしい王国への扉をあける鍵があること、またそこで私はグルとともに生きていくことも理解していた。そしてまたこの浄化した場所が私の生得権であり、登らなければならない山ではないことも理解していた。私はすでに頂上に空輸されていたのである。

 私は自分自身の無知や自己嫌悪、悪癖の強風にあおられ、山から転がり落ちてしまうかもしれない。しかし安全ベルトをどうにか締めて、最悪の災難が起こらないようになんとか踏みとどまる。私は激しく咆哮する風のまっただなかに立ち、叫びつづけるのだ。ババのいる部屋は私には輝かしく見えた。そして大きな喜びが心にあふれてきた。

 セッションは終わり、午後の庭仕事をするために私は外に出た。「私はシヴァである」という力強い言葉を頭の中に響かせながら。

 数分後、下段の庭に降りて植物の水やりといういつもの仕事に私はかかっていた。私の頭の中では新しい思考法と理解が独楽のように回っていた。私は至福の喜びにひたっていた。そのとき突然ババが道にあらわれた。彼は見るからにうれしそうで、はつらつとしていた。彼は言った。

「シャンカラ、答えがどうやら気に入ったようだね」

「はい、ババ。すばらしかったです」

「ふむ」と彼は言って落ち着きを取り戻したようだった。

 私はババに近づいたとは思わなかった。ババは私たちの間に起こっていることに喜びを見出したようだった。

「人に与えるということは大変なことだ」と私は考えた。「しかもそれをだれも受け取らなかったとしたら」

 至高の意識のシャクティをだれかが開けることができたなら、すこしでも開けられたら、師としてこれほどの喜びもないだろう! 

 私はドミトリーに戻り、友人たちにババの答えが「私の人生を変えた」と報告した。これは私にとっていたって普通のことだった。というのも私はほんのわずかのニュアンスにいたるまで内なる変化を見るのに夢中になっていたし、新しい発見に堪能していたのである。それはとっさに出たジョークのようなものだった。今日のランチはとてもよかった、とでも言うような調子で私は語ったのである。ラムだかラリーだかは目を丸くして言った。

「あんたの人生を変えただって?」。実際、人生を変えたのだ。

 私の物の見方は永遠に変わった。わが世界観はカシミール・シヴァ派の卓越した世界観と一致した。私は現在の真ん中にいた。本質的に問題というものはなかった。その瞬間に湧き出る問題は、単純に心や感情から出てくる間違った動きだった。私はその間違った動きを捨て去り、すでにそこにある完全を探しさえすればよかった。私はシヴァである! 

 ガネーシュプリに滞在し始めた頃、グルからの覚醒トランスミッションであるシャクティパットを伝授されていたが、経験として身についたわけではなかった。このできごとはまったく違ったものだった。わが意識は永遠に変容したのだ。たしかにこのとき以降も感情の風が吹き荒れることもあった。ときにはハリケーン級の暴風が吹いた。しかし私のなかに何かが確立されたのはまちがいない。それは以前にはなかったものだ。

 『シヴァ・スートラ』T・17はつぎのように言う。

ヴィタルカ・アトマジュナナム(Vitarka atmajnanam

自己を知るということは確信するということである 

 ヨーギが不動の確信をもって「私は宇宙の自己、シヴァである」という考えを抱くとき、彼は自己のなかに確立されているのである。人はこの教えについて聞いたり理解したりしたことがあるかもしれないが、残っていた疑いやネガティブな感情がそれらを掃き捨ててしまうのだ。

 サーダナは「私は自己である」という考えを強め、疑いの心を弱めるための場所となる。サーダナが進歩するにしたがい、確信はしだいに疑いを克服するようになるのだ。私はたしかに相当の疑いとネガティブ思考を拭い去ることができないでいた。ババの言葉は持続的な効果を及ぼし、私の心にはつねに思いやりのある戒めが与えられた。

 賢者アビナヴァグプタ(賢者の言葉を私は何度も引用するが)は、アヌパーヤは「(目的達成の)手段なし」あるいは「わずかな手段(しかない)」ことを示していると指摘する。熟達した求道者は、覚醒した者の前に来ると、それだけで即座に精神的変容を遂げることができるかもしれない。あるいは、もっとありそうなことだが、力強い愛情を伴った、たったひとつの精神的教えによって、深遠で、永遠なる精神的変容がもたらされるかもしれない。

 ババはカシミール・シヴァ派の体験をダイレクトに私に伝授した。大胆な方程式「私はシヴァである」は本質的な洞察だった。カシミール・シヴァ派の第一のテキスト、『シヴァ・スートラ』に書かれた最初のアフォリズム(警句)は「チャイタニヤマトマ、自己は意識である」だった。心の奥深くでは、「私とは知覚である」と感じていた。知覚とは自己にほかならず、それはまたシヴァであり、宇宙意識であり、普遍的な愛だった。私の知覚とは、宇宙意識(普遍意識)と実質おなじだった。理解するのはむつかしく、その概念は捕えがたかったが、私はシヴァであり、シヴァだけだった。

 12世紀のシヴァ派大師マヘーシュワラナンダは言う。

 もっとも美しいルビーはそれ自身の輝きに覆われている。このように、「自己」は輝きを放って世界全体を照らしだすが、その輝きゆえに姿が見えない。

 宝石と同様、意識はすべての精神的、感情的明瞭さ(それ自体意識の産物なのだが)によって姿を隠している。ヨーギはこうした眩惑を切り払って、隠れている真実を見つけ出さねばならない。

 シャクティパット、すなわち求道者が完全な師匠から受け取る覚醒によってババはシヴァ派と結びついていた。彼は若い頃から情熱的なスピリチュアル探求者だった。彼は15歳のとき家を出て、アシュラムからアシュラムへ、賢者から賢者へとインド中をさまよい歩いた。彼は見つけられるかぎりのすべての精神的哲学や技法を学んだ。

 30代半ばまでには、第二の故郷であるマハラシュトラ州の町イェオラでは、賢者かつ聖者とみなされるようになっていた。たくさんの人が教えと祝福を受けるため、彼のまわりに集まった。しかしながら心の中では、何か本質的なものが欠けていると感じていた。

 彼の探求は終わっていなかった。彼は師を探し出したいと思い、多くの聖者に会った。そのうちのひとり、ガネーシュプリのバガワン・ニティヤナンダに強い印象を受け、彼はそのもとで過ごすようになった。しかし彼は1947年8月15日のできごとに対処する準備ができていなかった。

 その前夜、彼はバガワンのアシュラムで瞑想をおこなっていた。翌朝早く、ニティヤナンダが出てきた。彼はババの前を横切ったとき、彼の目をのぞきこみ、意識の力を伝授した。即座にババは昇華して、神の直接的体験を味わった。彼はアシュラムを出て、宇宙意識、そしてヴェーダンタが描くブラフマンの覚醒を体験しながら道を歩いた。彼は自分自身を含む宇宙全体が「神・意識」とともに生き、愛と知性に輝いていることがわかった。

 すぐにニティヤナンダは彼自身の場所でババに瞑想させるようにした。いまや強烈な体験がつぎつぎとやってきた。それらの一部は恐ろしい体験であり、一部は過激なものであった。これらのすべてがババには新しいものだった。いままで読んだり学んだりしたことはいっさい役に立たなかった。ロードマップはなかった。しかしこうして起こっていることは正確で安全なのか? 未知の力に支配されるにしたがい、疑いと恐怖も肥大化していった。

 彼は『意識の遊び』のなかでこう書く。

 私は自分のアーサナ(坐法)で坐り、すぐに蓮華座のポーズをとる。私のまわりには炎が広がっている。宇宙全体が炎に包まれているのだ。燃える海がぱっと開き、大地全体を飲み込む。亡霊と悪魔の軍隊が私を取り囲んだ。蓮華座のポーズのまま身動きできなかった私は、目を閉じ、空気を逃さないように顎(あご)を喉に押し当てた。それから私は背骨の底にあるムラダラの神経叢に激しい痛みを感じる。

 私は目を開ける。私は走りだしたかったが、足が固められていたので動けなかった。その姿勢のまま永遠に留め置かれたかのように感じた。両手とも完全に麻痺していた。私は見えているものすべてが現実でないことを理解していたが、依然として恐怖に取り囲まれていた。

 そのような恐怖としばらくの間戦ったあと、彼はカシミール・シヴァ派のテキストと出会った。彼が経験したことがそこには詳しく書いてあった。グルによってもたらされた覚醒、シャクティパットについての記述はそのテキスト以外では見つけることができなかった。シヴァ派はじつに27種類ものシャクティパットを詳細に記述していた。

 その頃からシヴァ派はババにとって近しい存在となり、シヴァ派の観点から語るようになった。私が論じてきた3つの考え方のうち、サーダナの法はインドの精神哲学すべてに属するが、残り2つ、つまり「すべてはチティである」と「私はシヴァである」はとくにカシミール・シヴァ派に属するのである。