心風景 inner landscape 16    宮本神酒男


微妙に視線をそらす。視線を合わすのは、猿にとっては「喧嘩を売る」ことを意味するのだろう 


ハヌマーン寺院の猿 
 猿と直接触れ合う経験をしたことがあるだろうか。この写真の猿は私が唯一さわったことがある猿なので、その意味では感慨深い特別な猿である。人間とよく似た目、まぶた、鼻筋、鼻の穴、人中(鼻の下の溝)、唇、歯、頬、耳を持っているのだから、こうしてじっくり見ると、やはり共感できる部分もあるはずと思う。
 インドの猿は、人に襲いかかるということは、めったにない。と書きかけたところで「インドのパトナで人が猿に襲われ3人死亡」という記事が目に留まった。しかしともかく、日本では考えられないほど町中にたくさん猿がいるが、インドの猿は友好的である。いや友好的というよりは、のさばっていると表現すべきかもしれないけれど。
 私はインド北部の丘陵の町シムラを訪ねることが多い。シムラで軽く体を動かしたいときは、近くの山を上り、モンキー・テンプルまで行く。ジャークの丘(2591m)の平坦な頂に近づくと、あちこちに猿の姿を見かけるようになる。このジャークのハヌマーン寺院(マンディール)の主役は猿神のハヌマーンなので、猿はいわば神様であり、猿が大事にされるインドでもとくにここでは特別扱いされるのだ。ちなみにジャークとは、ヤクシャ(夜叉)と語源上関係があるそうだ。ヤクシャのいる丘をハヌマーンおよび猿たちが守り、悪魔が出てこないように見張っているのだろう。

抱きつき猿 
 ぼんやりとお寺参りをしていると、突然だれかに腰に抱きつかれた。驚いて下を見ると、この猿だった。もうあなたをどこへもやらない、とでもいうように両手でわが腰を真正面からがっしとかかえこんでいる。そういえば、カトマンズの町中を歩いていると、いつのまにかかわいい男の子がわが手を握っていることがあった。かわいいので、しばらくいっしょに歩いたあと、ついチップを渡してしまった。父性本能につけこんだいわば手握り詐欺だが、たいした金額ではないので、だまされても悪い気はしなかった。
 ここシムラでいま猿がやっているのは、抱きつき詐欺である。インドでは、人間が猿に危害を加えることが少ないので、猿も甘えればエサをくれると考えている。この猿がそのあと何をしたかといえば、両手をわが服の左右ポケットにいれ、まさぐったのである。何もはいっていないとみると、顔をあげ、「どうして何もないんだ」と不満そうな表情を浮かべる。「ごめん、ごめん、あいにく何もないんだよ」と私は目で知らせる。
 私の考えていることは通じたみたいで、猿は両手を放して、こちらに「じゃあ、また」といったそぶりをして、離れていった。たぶん。猿のほうから目を合わせることはなかった。

 子猿はかわいい 

猿の大捕り物 
 日本では、猿がいるところは、猿たちが人間の食べ物や菓子を奪うという事件があいつぎ、ときには駆除されてしまうことがある。畑を荒らされる場合は冗談ではすまない。しかし放浪している猿を極悪犯罪者扱いして、多数の警官が追い回すというのはどうかと思ってしまうこともある。何年か前、わが住居の近くでも猿が住宅地を逃げ回り、パトカーまで出動して警官らが捜索し、各テレビ局のレポーターや雑誌、新聞の記者らがやってきて、ヘリコプターが上空を飛び回るという大捕り物があった。インド人からしたら、日本人は猿に敬意を払わない、非常に不可解な民族に見えただろう。

ダラムサラの森の猿 
 インド北部のチベット難民の町ダラムサラの郊外の森の中にある瞑想センターに滞在していたとき、部屋の外の木にはいつも日本猿のような小型の猿の群れがいて、慣れ親しむことができた。しかし窓をあけていると、あるいは扉を半開きにしていると、猿が侵入してテーブルに置いた果物を盗っていくことがあった。しかしそのときは「慈悲の心」を持っていたので、盗られてもあまり気にしなかった。
 秋が過ぎ、冬がきて、雪が降ってくると、小型の猿の群れは去り、大型の白い(灰白色といったほうがいいだろう)猿の群れが入れ替わるようにしてやってきた。いつも小型の猿とケンカしていた犬は寂しそうにしていた。白い猿は悠然とかまえていて、あまり犬には興味がなさそうだった。数十センチもの積雪があっても、毛がたっぷりある白い猿には寒さが苦にならないようだった。体毛が白いのはおそらく保護色で、雪が積もっているほうが安全で、つまり安心していられるということなのだろうか。


ラクシュマン(ラーマの弟)のためにヒマラヤから薬草の山をもってくるハヌマーン 

猿にメガネを盗られる 
 そういったことを思い出しながら、「猿っていいやつだな」と考えつつハヌマーン寺院の庭を歩いていると、突然先ほどとは異なる猿が近づいてきた。と思う間もなく、猿は片手を私の肩に置き、もう片方の手で私のメガネをひったくった。まったく予期していなかったので、私はパニクってしまった。旅先で眼鏡がなくなったら、不便このうえない。
 見上げると、木の上のほうにいる猿が私を見下ろしながらせせら笑っているように思えた。
「この野郎! 返せ!」私は日本語でどなった。
 私の怒りの声を聞いて近くにいた若い男が寄ってきた。ピーナッツ売りである。一袋10ルピーでピーナッツが数十個入った袋を売っていたのである。
「これを投げてみるといい」と若い男は言う。私はもっともだと思っていくつかピーナッツ袋を買う。どうしたもんだか、と躊躇していると、若い男自身が「おれがやってみるよ」と言って袋を上に投げた。木の上のほうには猿がいて、両手でメガネを持っている。
 一度目は失敗。放物線を描いて重力の法則通りに袋は落ちてきた。二度目、今度は猿の目の前に到達した。
 猿は両手でピーナッツ袋をとらえようとした。その瞬間、メガネが落下した。私はうまいぐあいにメガネをキャッチすることができた。猿も袋をキャッチして、もう食べ始めている。めでたし、めでたし。私はピーナッツ売りに何度もありがとうと言った。猿も、ピーナッツ売りも、私も得をしたような気がした。三方一両得である。よかった。
 いや待てよ。私はいったい何の得をしたというのか。もしかすると、このピーナッツ売りが仕掛けたことではないだろうか。ピーナッツは売れるし、猿はピーナッツが食べられる。ピーナッツ売りと猿が組んでメガネをかけた旅行客を狙っているのではないか。
 とそこまで考えて、人と猿を疑うとはなんとあさましいことよ、と自分をいましめた。インドにはユネスコ文化遺産に申請したくなるくらいさまざまな騙しの技術があって、私も何百回とだまされてきたが、人と猿が組んでだますなんてことは、いくらなんでもないだろう。と信じる。


ミャンマーのポッパー山の猿は観光客の要望にいちおう応じてくれるが、
猿稼業もたいへんといったふうで、乗り気でない様子。
いつもここの長い階段には糞がまき散らされている。猿のうっ憤晴らしなのだろうか。 



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