折々の記 Mikio’s Book Club 宮本神酒男
第21回 シェイヴァー・ミステリーは精神疾患ファンタジーなのか
リチャード・シェイヴァー 『レムリアの記憶』他
<序>
1945年から48年頃、シェイヴァーの作品が掲載されたSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』は驚くほどよく売れ、一躍社会現象となった。しかしその後は一転、シェイヴァ―はSFファンから袋叩きに遭い、「シェイヴァーのインチキ」(Shaver Hoax)という言葉が生まれるほどの汚名を着せられることになる。
それから70年以上の月日がたち、いまこそこのシェイヴァー・ミステリーについて再考し、再評価すべきなのではないかと私は考える。そもそもシェイヴァーは「ノン・フィクションを装ってフィクションを書いた」のではなかった。上述のように、彼は編集部に手紙を送る前の9年間、3つの精神病院に入院していたのであり(一度は脱走に成功し、カナダのニューファンドランドにまで達している)、頭の中では実際に「声」が響いていた。これは幻聴であり、統合失調症の症状である。その声は我々の知らない宇宙および地球の歴史を語り、地球内部の洞窟に住む破壊的な種族デロの人間への影響について警告した。シェイヴァーはこの危機的状況を広く知らせるために『未来への警告(のちに「レムリアの記憶」と改題)』を執筆した。
統合失調症でなく、シェイヴァ―がほんとうに声を聞いていたのだとすると、どういうことになるだろうか。彼が書いたのはSF小説ではなく、高次の霊的存在とのチャネリングの記録ということになるのではなかろうか。シェイヴァーはいかさま小説家ではなく、チャネラーなのだ。現在だったら、懐疑的な目で見られるにしても、チャネラーを称することになんら問題もない。精神疾患のことはともかくとして、彼は疑うことなく(彼からすれば)、霊的存在と交流している。だからチャネリングを好む人々からは相当高い評価が得られるだろう。考えてもみてほしい。シャーリー・マクレーンのチャネリング体験をSF雑誌に掲載したら、読者からブーイングを浴びることにならないだろうか。シェイヴァーとパーマーはその種の過ち、すなわち発表の場の間違いを犯してしまったといえる。『アメージング・ストーリーズ』が売れたために批判されたのなら、チャネリング専門誌でも創刊すればよかったのにと思うが、時代を先取りしすぎてしまったようだ。ニューエイジの時代まであともうすこし待たねばならなかった。
*1946年にミード・レイン主宰のボーダーランド・サイエンス・リサーチ・ファンデーションというサンディエゴの心霊科学グループの訪問を受けている。そのときレインは「デロを嘲ってはいけない。それはとても危険である」という霊媒師マーク・プロバートのアドバイスを伝えている。
もちろん「頭の中の声」を病理的現象としてとらえるか、チャネリングととらえるかで物事の見方は180度変わってくる。この道の権威であるマリウス・ロームとサンドラ・エッシャーの『まわりには聞こえない不思議な声』(日本評論社)や『声とともに生きる』などを読めば、幻聴は統合失調症だけに見られるのでなく、多くの人、とくに若い人がよく経験することであることがわかる。言い換えるなら、精神病でなくとも、声を聞くことがある、ということだ。チャネリングは非常に特別な、ときには神聖な体験であり、統合失調症である必要はない。
2 リチャード・シェイヴァーの生い立ちと彷徨と入院歴
3 声の秘密
4 嵐の中の騒がしさ
⇒ レムリアの記憶
⇒ 夜の魔女
⇒ 声にさいなまれて 狂人の初期症状なのか、未来への警告なのか
⇒ 無駄な逃走
⇒ 洞窟に入る
⇒ 天国の風味
⇒ 生きている図書館
⇒ 大惨事と脱出
⇒ 古代文字
⇒ マントング語辞典
⇒ なぜ洞窟は秘せられたか
* リチャード・シェイヴァー ソロモン
* 虚ろの地球 8 D・スタンディッシュ
1945年、一世を風靡したシェイヴァー・ミステリーが
掲載された『アメージング・ストーリーズ』誌
頭の中の声から作品を作り出した
リチャード・シェイヴァー
レイ・パーマー(愛称ラップ)と妻
編集者ラップがいなければシェイヴァー・ミステリーはなかった
シェイヴァーが大柄でパーマーが小柄なため
合成写真のように見える