キリスト教ヨーガ行者、チベットに消ゆ
四十日間荒野をさまよったイエス・キリストのように、インドのキリスト教修行者はインド各地やネパール、チベットを漂泊した
補遺 サドゥー(行者)クリスチャン、スンダル・シン
「イエス・キリストのインド修行伝説」冒頭 宮本神酒男
補遺の<目次>
ある日スンダルはヒンドゥー教徒のグループと話をしていた。彼らはスンダルが言うことに熱心に耳を傾けていた。彼が話し終えると、彼らの何人かは、ガンジス川の畔に坐っているヒンドゥー教聖者と話をするよう促した。彼らはこう言った。われわれはスンダルと論じるほどの知識を持っていないけれど、この聖者ならどこが間違っているか指摘することができるだろう、と。
ひとりの若者が走って聖者の手を引いて戻ってきた。日焼けして褐色で、しわだらけの年老いたヒンドゥー教サドゥーは、やってくるとスンダルの目をじっと見つめた。そしてスンダルが思いもよらなかったしぐさをした。
スンダルがグループに説いたことを否定するかわりにサドゥーは二本の指を伸ばし、スンダルの口の前に置き、それから彼自身の口の前に置いたのだ。人々は息をのんだ。これはまったく予期しないことだった。このしぐさによってヒンドゥー教の聖者は、彼の言葉とスンダルの言葉が寸分たがわないことを示したのだ。聖者はとまどうグループのほうを向き、スンダルが彼らに言ったイエス・キリストに関するすべてのことは真実であると宣言したのである。
(ジャネット・ベンジ&ジェフ・ベンジ『スンダル・シン 山上の足跡』)
私が上の一節を引用したのは、このベナレス(ワーラーナシー)のエピソードがスンダル・シンの立ち位置をうまく説明していると思うからだ。スンダル・シンはキリスト教徒だが、ヒンドゥー教のサドゥーとまったく変わらない恰好をしていた。もし彼を見かけても、その説く内容を聞かないかぎり、ヒンドゥー教の聖者だと思っただろう。そんな彼が話すイエス・キリストのことを聞いて、老いたサドゥー(聖者)は本質的にはおなじことだと感じたのだ。
これは意味深い反応だと思う。ヒンドゥー教の真実を求める一部の人は、キリスト教の本質がいわばヒンドゥー教世界観と相いれると考えたのだ。実際、とくに20世紀前半、ヒンドゥー教徒がぞくぞくとキリスト教を信仰するようになるのである。その代表格がパラマハンサ・ヨガナンダだった。もっとも、彼らがどれだけキリスト教のすばらしさを説いたところで、正統派キリスト教からすれば異端であり、汎神論者だった。ニカイア公会議を経たキリスト教のみが正統派にとっての唯一のキリスト教だった。
ヨガナンダと違い、スンダルは頭のてっぺんから足の先までキリスト教徒だった。その信仰の強さ、深さは圧倒的だった。ただサドゥーの恰好をして、ヒマラヤで修行するという特異な生活を送った。しかしアントニオスにはじまる砂漠の修道士や森の修道士サロフの聖セラフィム(1759―1833)など、厳しい大自然のなかで修練を積んだキリスト者もすくなからずいたのである。スンダルは北インド平原やチベットを彷徨しながら福音を広める新しいタイプのキリスト者だった。