イエス・キリストのインド修行伝説    宮本神酒男

疑惑のイッサ文書を発見したロシア人ジャーナリスト、イエスの墓を発見したイスラム教自称メシア、イエスを愛したヒンドゥー・グル、伝説を喧伝した米国の終末カルトの女教祖……かくもインドのイエス伝説は様々な物語を紡ぎだす 

  ヘミス僧院 Photo: M. Miyamoto

 インド・ラダックは訪ねるたびに謎が増え、深まる不思議な、神秘的な場所である。「ヘミス僧院には、イエスがインドで修行したことが記された古文書があるらしい」という噂はかねがね耳にしていた。現在ではさすがにこれをまじめに受け止める人はいないだろうけど、百数十年前、へミス僧院を舞台に、何十年も世界を揺るがし続けるできごとが起きていたのである。

 ひとたび「イエスのインド修行伝説」について調べ始めると、トンデモ話として簡単に切り捨てることのできない潮流があることが分かってきた。何千年も前からインドには宇宙の普遍性を求める傾向があった。宇宙の普遍性に達するには、ヒンドゥー教でなくても、仏教でも、キリスト教でも、イスラム教でもかまわなかった。そういった超宗教的な、普遍性の探求心があった。それは超宗教であるとともに、宗教の融合でもあった。

 一方の西欧の側からは、教条的なキリスト教に幻滅し、反発し、東洋的な神秘性を求める人が現れるようになった。とくに60年代末以降、東洋的神秘を求めてインドへ向う若者が急増した。彼らのバイブルとなったのが、ラム・ダス(リチャード・アルパート)の『ビー・ヒア・ナウ』(1971)である。おそらくこのときのニューエイジ世代のムーブメントが「イエス・キリストのインド修行伝説」をふたたび呼び起こしたのだろう。

 ふたたびというのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、「イエス・キリストの修行伝説」は広く世に知られるようになっていたのである。キリスト教そのものは、神秘性を嫌う傾向があった。しかしそれがあまりに強いため、逆にとくにカトリックからは数多くの神秘主義者を生むことになった。一部の人は考えた、イエスのような偉大な存在がインドの深い、神秘的な哲学を学んでいないはずがない、と。そういえばイエスの知られざる17年間に、インドへ行って学んだという話もあるではないか。

Photo: Mikio Miyamoto
ラダックのミステリーの一つ、「白人村」を訪ねると、村人のひとみは茶色で髪は栗色だった。

 19世紀末、「イッサ文書」(1894)と言われる古文書が発見され、世界を騒がせた。真偽がはっきりしないままブームは下火になっていたが、そのときに現れたのが『宝瓶宮福音書』(1908)である。このアカシックから読み取った書は大ベストセラーとなり、いまだに売れ続けるロングセラーになった。つまり、イエスにスピリチュアルな救世主であることを求める動きはすでに始まっていた。ニューエイジの時代に至って、その動きがリバイバルしたのである。

 本稿はいわば近現代の意識の歴史である。普遍宗教を求めるインド人の意識と、キリスト教では物足りない奥深いスピリチュアルな哲学を求める西欧人の意識が、イエスがインドへ行った話を記す福音書のもとでめぐりあい、融合し、新しい意識が生まれた。この流行はすでに下火になっているものの、形を変え、現在も文化の根底に流れているのだ。





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