イエス・キリストのインド修行伝説    宮本神酒男

疑惑のイッサ文書を発見したロシア人ジャーナリスト、イエスの墓を発見したイスラム教自称メシア、イエスを愛したヒンドゥー・グル、キリスト教サドゥー、伝説を喧伝した終末カルトの女教祖……かくもインドのイエス伝説は物語を紡ぎだす 

 はじまりは、ノトヴィッチが発見したと称するイッサ文書だった。1988年以降何度かインド・ラダックを訪ねたことがあり、チベット仏教にもなじみがある私にとって、ときおり小耳にはさんだ「ヘミス僧院にはイエスがインドで学んだということが記された古文書があるらしい」という噂はあまりにもばかばかしく、まじめに取り上げる題材ではなかった。

 しかしひとたびイエスのインド修行伝説について調べ始めると、簡単に切り捨てることのできない、おおげさに言えば人類の思潮のようなものがそこに流れていることに気づいたのだった。

 ノトヴィッチのスキャンダラスな登場(イッサ文書『イエス・キリストの知られざる生涯』の出版は1894年)は、強烈な反感でもって迎えられた。当時のインド学の巨匠マックス・ミュラーは、即座に偽書であるとしてノトヴィッチを糾弾した。チベットから神秘のヴェールが脱がされた現在からみると、パーリ語で記された古い経典がラサのどこかに保管されていたという説明自体が胡散くさかった。

 問題は、信頼できる人物であるインド人宗教家アベーダナンダやノーベル平和賞候補のロシア人神秘画家ニコライ・リョーリフ(レーリヒ)らがヘミス僧院でそのイッサ文書を目にしていることだった。イッサ文書はたしかに存在したのである、それがだれかの偽造の可能性があるにせよ。もしそれが偽造であるとして、ノトヴィッチの手によるものでないとしたら、だれが作ったのだろうか。またノトヴィッチの偽造であるなら、このスパイ疑惑のあるユダヤ系改宗ロシア人戦場ジャーナリストの目的は何だったのだろうか。

 アベーダナンダがイエスについて書いた世間にあまり知られていない文章は、私にとって道標となった。彼はイッサ文書の信憑性は問わず、イエスが偉大なヨーガ行者であるかどうかを問うたのである。そこには師匠のラーマクリシュナから滔々と受け継がれる宗教の枠組みを超えた普遍宗教への希求があった。真実へ行きつくならば、キリスト教を通ってでも、ヒンドゥー教や仏教を通ってでもかまわなかったのだ。

 この路線の上に登場するのがロングセラー『あるヨギの自叙伝』で知られるパラマハンサ・ヨガナンダだった。ヨガナンダにとって座右の書と呼べるのは、『バガヴァッド・ギーター』と聖書だった。ヒンドゥー・グルの立場から、ヨガナンダはイエスを「真実を追求したヨーガ行者」として評価したのである。ラーマクリシュナからヨガナンダに受け継がれた普遍宗教への希求は、サイババやダライラマ14世にも通じるものである。

 こうした潮流が生まれる素地となったのは、キリスト教や西洋文明の起源がインドにある、あるいは両者のもとをたどればひとつであるという考え方だった。アポロニオスがインドで学び、聖トマスがインドへ行ったという伝説はかなり古くからあった。聖書には12歳から30歳までのイエスが何をしていたか書かれていないため、その間にアポロニウスのようにインドへ行って学んだと考えるのは無理からぬことだった。このミステリーについて書かれた著作はつぎつぎと出版され、大きな現象ともなった。リーバイの『宝瓶宮福音書』はロングセラーのひとつである。

 もうひとつ忘れてはならないのは、イエスが十字架上で死ななかったという説である。バシレイデスが最初に唱えたのだが、影響力が大きかったのはイスラム教の聖典コーランである。コーランはイエスの磔刑を否定しているのだ。

 イエスが十字架上で死ななかっただけでなく、インド・カシミールに来て100歳を超える長寿を全うしたと唱えたのは、異端的イスラム教徒であり、約束されたメシアを自称したミルザ・グーラム・アフマドだった。アフマドはカシミールにあるイエスの墓の発見者でもあった。イエスの墓およびイエス長寿説を唱える著者の多くはじつはアフマドを教祖とするアフマディヤ派に属する人々だった。

 イエスのインド修行説を唱えた人々のなかでも、エリザベス・クレア・プロフェットは特別である。彼女の著作(『イエスの失われた歳月』)はベストセラーとなり、インド修行説を欧米に広く知らしめた。しかしエリザベスがじつは終末カルトの教祖であったことは、すっかり忘れられている。霊能者であり人気作家のシルビア・ブラウンもまたイエスがインドに来たという説に同調しているが、インパクトの強さでは世界の終りを予言したエリザベスにはかなわないだろう。

 

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